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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

「月島の渡し跡」

久しぶりに「渡し碑コレクション 」を更新しました。

かつて 隅田川河口に「月島の渡し」というのがありました。 今まで これの碑はないものと思っていましたが, 友人から 月島側の小公園内にあるとの情報をもらったので, 先日見てきました。


〔隅田川〕月島の渡し跡


ここは 有名な「月島のもんじゃ焼き」の店が並ぶ 通称「もんじゃ通り」のすぐ北側にあり, 昨年暮にも もんじゃ焼きを食べに来たのですが, もちろん その時は この碑の存在は知りませんでした。

「勝鬨の渡し」「佃の渡し」など 隅田川河口近辺の渡し碑については, 2000年ごろに調査したのですが, 月島の渡し碑が建ったのは 2001年(平成13年)のことなので, 当然その時は見つけることはできなかったわけで, 仕方がありません。


少し脱線しますが, 近くの「豊洲」が 最近新しいショッピングセンターや大型マンション群ができて有名になりました。 近くまで来たのだから 豊洲というところを見学してみようと思って 少し歩いてみました。


月島の南は 晴海。 かつて晴海には 国際展示場(コンベンションセンター)があって, 何度も通ったものです。 1996年に東京ビックサイトに移転したため, 現在は清掃工場になっているということです。

廃線の鉄橋

晴海の北東側が 豊洲。

晴海と豊洲を結ぶ「春海橋」の南側に 橋と並行して 写真のような, 小型の鉄橋があるのを見つけました。 すっかり赤さびだらけになって 明らかに廃線となった鉄道橋のようです。

mapion


よく見ると 線路も敷いたままになっていますが, 豊洲側につながる地点で 線路は途切れてしまい, その先は 巨大なマンションが建設中です。


あとから聞いたところによると, これは 東京港の臨港鉄道「晴海線」の一部だそうで, 1957(昭和32)年に開通し, 1989(平成元)年に運行廃止となりましたが, その後も 東京都が管理しているのだそうです。

鉄橋の両側は すでに線路はなく, どうしてここだけが残してあるのか不思議な印象を受けますが, 撤去するには相当の費用がかかるし, 鉄橋を残しておいても 今のところ特別危険なわけでもない, という判断があったのでしょうか。


赤さびていることを除けば, ちょっとレトロな 優雅な形のアーチ橋で, 周辺がどんどん近代化する中に なつかしい風景が残っています。

せっかく残っている産業遺産なので, 取り壊さずに このまま永久保存しておいてもらいたいものだと思います。

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引っ越しました


Livedoor Blog
から, こちらに引っ越してきました。


 「他のブログからインポートする」 機能ってのは 便利ですなぁ...

引っ越し元を指定しておくと 夜のうちに中身をごっそり こちらに移しておいてくれる。

自分では何もやらなくてもいいんですね。 うれしい機能。

 

これからも アメブロで よろしく。


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北海道の発祥の地 (その2)

北海道の“発祥の地探し”の旅の 第2日の分 =〔札幌~旭川〕間で見つけた 7件を整理・掲載した。

  江別発祥の地 (江別市)
  上富良野ラベンダー発祥の地 (上富良野町)
  富良野平原開拓発祥之地 (上富良野町)
  上川水田発祥之地 (旭川市)
  永山屯田太鼓発祥之地 (旭川市)
  北海道スキー発祥之地 (旭川市)
  旭川教育発祥之地 (旭川市)




北海道の発祥の地の特徴は, “初めて稲作を成功させた”とする「水田発祥の地」が多いことである。
今までに調べた範囲では,

札幌市北区, 東区, 白石区, 旭川市神居, 旭川市永山, 鷹栖町, 比布町, 当別町, 苫前町, 深川市, 倶知安町, 妹背牛町, 北斗市大野, 穂別町, 遠別町, 幕別町, 訓子府町, 端野町, 増毛町

の19個所にある。 (まだ訪問してないところが多いので, 一部間違っているkかもしれない。)
寒冷地での稲作がいかに厳しいものだったか, 当時からいかに稲作が重要視されていたは理解できるし, それぞれの地域で米作の開始を記念したい気持ちもわかるのだが, あまりに数が多いので いささか辟易とする。


この日訪問したところで, 「“発祥の地”とは言えない」ため 「ボツ」になった碑が一つある。
ラベンダー観光の碑 中富良野町の“富田ファーム”の“トラディショナル ラベンダー園”にある 三日月形の珍しい形の碑は, 「ラベンダー観光発祥の地」と呼ばれることがあるが, 碑文を読んでみると 残念ながら「発祥」を意味する言葉は書かれておらず, ボツになった。


1876 初代富田徳馬が十勝岳連峰を最も美しく見遥かす北星地区に開拓の鍬をいれる。
   初代の耕地を引き継ぐ二代富田徳男 土地を肥沃化する。
1937 曽田政治氏が南フランス・プロバンス地方よりラベンダー種子を輸入する。
1958 長女の誕生を機にラベンダの栽培を開始する。
1976 この位置より撮影された景観が全国に紹介されラベンダーが広く知られることとなる

      この丘に 34年の厳しい 風雪に耐え
      小さな紫の花たちが訪れる人々に愛と夢を与えてゆくかぎり
      この花と共に 生きてゆきます。
      はじめて ラベンダーと会ったときの感動を胸に
          1992年7月吉日


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北海道の発祥の地 (その1)

5月末~6月初にかけて4日間, 北海道の“発祥の地探し”の旅をしてきた。 
今回は その初日の分 =〔千歳~札幌〕間で見つけた 13件を整理・掲載した。

  鮭鱒人工孵化発祥記念碑 (千歳市)
  北広島・水道発祥の地 (北広島市)
  酪連発祥の地 (札幌市)
  白石村行政発祥之碑 (札幌市)
  白石村医療発祥の地 (札幌市)
  六軒村発祥の地 (札幌市)
  北鎮砲兵発祥の地 (札幌市)
  北海道電話交換創始の地 (札幌市)
  人工雪誕生の地 (札幌市)
  札幌中学校発祥の地 (札幌市)
  篠路歌舞伎発祥の地 (札幌市)
  ハルニレの森づくり発祥の地 (札幌市)
  民放第一声の地 (札幌市)

“発祥の地探し”のためには 事前にいろいろ調べて行くのだが, 現地に行ってみると 予想に反して「これは“発祥の地”とは言えない」という『ボツ』の碑がいくつかでてくる。 今回は それらを記録して「悔しさ」を表わしたい。

【寒地稲作記念碑】
北広島市の「旧島松駅逓所」にある記念碑で, 通常「寒冷稲作発祥の地」として紹介されている。

寒地稲作 この地に 始まる
     北海道知事 町村金五

 ここは 明治六年 大阪府出身の中山久蔵
が最初に米作を試みたところとして 永く記
憶さるべき地である
 当時道南地方を除いては 北海道の米作は
危険視され 万全の開拓方針をたてることが
できなかったが 明治四年 単身率先してこ
の地に入地し開墾に従事した久蔵は あえて
まずここに水田一反歩を開き 種子を亀田郡
大野村から求めてこれを試み成功し その安
全さを証明したばかりではなく その種子を
道内各地の希望者に無償配布して成功せしめ
た ために附近の水田耕作熱は とみに高ま
り 空知 上川の穀倉を拓く基を開き つい
に北海道を全国一の米産地に育てる因を作っ
たのである
    昭和三十九年九月
北海道大学教授農学博士 高倉慎一郎 撰文
            鈴木凌雲  書

  建立者  中山久蔵翁記念碑設立協賛会
       広島村


寒地稲作記念碑 + 札幌建設の碑 左:寒地稲作記念碑
右:札幌建設の碑
(画像クリックで 拡大)


【札幌建設の碑】
札幌のテレビ塔から150m南の 創成橋交差点角, 札幌東急ビルの前にある。
この碑は, 1869(明治2)年に始まった 札幌の街づくりの基点をしるしたもの。 名前からして 発祥の地にふさわしいと思っていたのだが, 現物には「発祥」に相当する言葉の記載がなく, 残念ながらボツにした。 

  札幌建設の地
    札幌市長 原田与作

 この地は 銭函から千歳に抜ける道と藻岩山麓を通り篠路に行く道路との交差点に当り明治弐年拾壱月拾日開拓判官 島義勇 石狩大府の建設をこの地からはじめ その志をついだ岩村判官は同四年参月札幌の町割をこゝを中心として行い 民家を建てることを許した
今日の札幌市はこの附近を基点として発達したのである。

    

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デザイン変更

チョコ・デザイン

 

 

 

 

 

 

      (今までのチョコレート・デザイン)

今までのチョコレートのデザインは 画面が暗くて, コントラストも低いため, とても見にくかった。

白熊のデザインに変更してみたら, フォントも大きくなったみたいで とても見やすくなった。 しばらく これを使おう。

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