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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

多摩川上流の渡し跡

渡し碑コレクション 」に 新しい碑を3つ掲載した。
 友田の渡し
 小作の渡し  
   石浜(牛浜)渡津

多摩川の上流にはいくつかの渡し碑があることは分かっていたのだが,
我が家からかなり遠いので, なかなか気軽に出かけられない。
ようやく思い立って 昨年暮近くに 福生~青梅 間の渡し跡を訪ねてみた。

調布橋の碑
掲載した 3ヵ所の渡し碑のほかに, 「千ヶ瀬の渡し」というのがあった。
東青梅駅と青梅駅の中間に 千ヶ瀬町 という地名があるが, この付近で多摩川に架かる橋 (調布橋) のある場所には かつて「千ヶ瀬の渡し」という渡し舟があった。

調布橋の北詰には“調布橋の碑”があって, 次のように記されている。

      調布橋
むかしよりこの地は織物がさかんであり, 明治22年の市町村制移行にあたり, 上長淵, 下長淵, 友田, 河辺, 千ヶ瀬, 駒木野の6村落が, 織物にちなみ調布村として村制を施行する事となりました。 当時人びとはこの少し下流にあった「千ヶ瀬の渡し」により多摩川を往来し, ニツ塚峠を経て五日市と青梅を結ぶ道として利用していました。
しかし, 水かさが増すと舟がとまってしまうことから, 調布村有志が力を合わせ, 幅9尺(2.7m)の吊橋を大正11年に完成させ大
変便利になりました。
その後, 昭和10年になりこの吊橋は東京府によって, 当時の最新の技術によるプレストリブアーチ橋(幅8m)に架替えられました。 美しい姿のこの橋は, 東京都の著名橋として, 以後58年余に渡り多くの人びとに利用され, たいへん親しまれてきましたが, 寄る年波には勝てず架替えられこととなりました。
吊橋から数え3代目となる本橋は, 上路式鋼逆ローゼ橋(幅16m)で, 歩道整備, 拡幅が行われ, さらに多くの人々に利用され, 親しまれることを願ってここに完成したものであります。
   平成6年3月    東京都

この碑は残念ながら 「渡し碑コレクション」には採用しにくいが, これ以外に 千ヶ瀬の渡しを記録した碑はなさそうだ。

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和倉の渡し・釜屋の渡し跡

渡し碑コレクション 」に 新しい碑を掲載した。
   和倉の渡し
   釜屋の渡し跡

東京には,多摩川・隅田川の渡し碑がたくさんあるが,これらとは別に 中小の河川があって, そこにも渡し船があったことが知られている。
日本橋兜町の「鎧の渡し」については 既に「コレクション」に掲載しているが, 江東区にも 多数の渡し船があったことが, 江東区教育委員会のホームページに記録されている。 しかし それらのうち 実際に碑が建てられているのは僅かで, これまでに確認できたのは 上記「和倉」「釜屋」の二つだけである。

釜屋堀公園 「釜屋の渡し跡」周辺には, かつて「釜屋」という鋳造工場があり, 今も 付近には“釜屋堀通り”“釜屋堀公園”などの名称が残されている。
また この場所には, 渋沢栄一の支援を得て 高峰譲吉が「東京人造肥料会社」を設立した所で, 「化学肥料創業記念碑」が建っている。

左の写真は「東京人造肥料会社」の土地が東京府に寄付されて「釜屋堀公園」ができたことを記す記念碑である。

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梶原の渡船場跡

久しぶりに「渡し碑コレクション」 に 新しい碑を掲載した。

梶原の渡船場跡 「梶原の渡船場跡」は かなり前に設置されたものらしいが, 何回探しても見つけることができなかった。 8月の暑いさなか, ようやく探しあてることができた。
現地は かつてキリンビールの工場があった場所で, 現在は 読売新聞などの印刷工場に変わり, 昨年? 工場として稼働をはじめたようで, それまでは 工事のため 渡し碑は一時的に撤去されていたと思われる。

これで 隅田川の渡し碑は 12ヵ所確認できたが, まだ他にもあるのかもしれない。
荒川区のHPには「汐入の渡し」「水神の渡し」の碑のことが書かれているが, 現地が 再開発の工事中だったりするせいか, 現在のところまだ発見できていない。

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相模川の渡し

相模川の渡し碑2 「渡し碑コレクション」 に 相模川系の 渡し碑(渡船場跡の碑) を7ヵ所追加しました。

  厚木の渡し,才戸の渡し, 磯部の渡し,
  当麻の渡し, 望地の渡し,久所の渡し,
  滝の渡し  (下流から上流への順)
これで 相模川の渡し碑は 10ヵ所, コレクション全部で 49ヵ所です。
この他にも まだ発見できていない渡し碑があるようなので, さらに時間をかけて調べるつもりです。

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