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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

保土ヶ谷区の坂

「坂道コレクション」 に, 横浜市保土ヶ谷の坂道を2つ掲載した。

  みらい坂 (横浜市)
  岩崎坂 (横浜市)

保土ヶ谷区では,2004年度に 区内の5つの坂を選んで, 愛称を公募して, 年度末に標識を建てた。 上記の坂は その中の2つ。


「みらい坂」は, 坂の上にある「みらいの見える丘公園」にちなんで付けられた名前。 公園の名前は, 広い眺望が見られることにちなんで 「みらいの見える」という名前になったようだ。 なかなかいいネーミングだと思う。


「岩崎坂」の名前は 岩崎町にある坂 という, 安直な名前の付け方だが, 悪い名前ではない。 階段坂が延々と続くので 老人向きの坂ではない。 非常にくたびれる坂である。


新興住宅地の坂道は 歴史がないため, 名前もついていないケースが多いが, こうやって 公募で愛称を決めるというのは なかなかいいアイデアだと思う。 更に新しい坂道に名前をつけてほしいものだ。

同様な例として, 川崎市宮前区が 公募によって坂名を決めている。 川崎には 他にはほとんど坂の標識が建っていないだけに, これからも 新しい坂名が決まっていってほしい。 また 古くからの名前の残っている坂も 決して少なくないようなので, これらに 標識を建てる動きをしてもらえると うれしいのだが...


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10月・11月のカレンダー

10月と 11月の カレンダーをアップした。
  10月 アマチャヅル と ハギ
  11月 モイワシャジン と シコンノボタン

モイワシャジン「モイワシャジン」(写真)は 「モイワジャシン」と誤って書かれることがあるが, 漢字で書けば「藻岩沙参」。 札幌市にある"藻岩山"で見つかったので "モイワシャジン"という名がついたと言われる。

「ノボタン」は 「野牡丹」で いろんな種類があるようで, プラケア属・メディニラ属などは あまり「ノボタン」らしくない姿をしている。
「シコンノボタン」は 日本原産かと思っていたが, ブラジル原産だそうである。 この種がもっとも秋遅くまで咲いている。

 

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「豆相人車鉄道」

復元・豆相人車 「はまだより」 に「豆相人車鉄道」をアップ。


「豆相人車鉄道」は, 小田原から熱海まで 人力で人を運んだ鉄道のこと。
明治の末期に作られた 人力鉄道だが, 3人の車丁が乗客6人を押して運ぶ, という原始的な交通手段で, あまりに効率が悪く 遅いため, 10年そこそこで 蒸気機関車による軽便鉄道に置き換えられてしまった。

豆相人車については 意外に資料が少ない。 『幻の人車鉄道』(伊佐九三四郎著) という本を入手したが, この鉄道は 調べれば調べるほど いろんな事実がでてきて 大変面白い。


人車鉄道の第一号は, 静岡県の 藤枝と焼津の間(4.5km)に 明治22年ごろに敷設されたものと言われるが, 詳しい資料はない。
逆に 最後まで営業していた人車鉄道は, 「島田軌道」(島田~向谷 2.8km)で, 明治31年に開業し 昭和29年まで営業を続けた。


実際に営業された人車鉄道の数は 25社前後あるようだが, 多くは 土石や木材などを運ぶ 貨物輸送のトロッコ線路に 人車を通したもので, 乗客輸送が主体のものは
  豆相人車鉄道
  帝釈人車鉄道
  笠間人車鉄道
  松山人車鉄道
などに限られる。

豆相人車鉄道は 開業時期の早さ・営業区間の長さ・営業期間の長さ など総合的に“日本一”の人車鉄道だった。


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「気球飛揚の地」 場所を訂正

長崎市の「気球飛揚の地 」について, R.K.さんから「場所が移動されている」というメールをもらった。

「気球飛揚の地」は Y.K.さんから写真を貰って掲載したもので, 私自身は 現地を見たことがない。 場所は「市民病院の近く」とのことで 長崎市が作った案内図を基に 場所を特定したつもりだったのに, 実際は もっと前から 場所が 市民病院の隣に移転していたという。


参考にした案内図は 長崎市観光宣伝課が作ったものなのに, それが信用できないものだったとは...

R.K.さんに 感謝。

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発祥の地 4件 追加

「発祥の地コレクション」 に 新規に4件を追加した。


  ガールスカウト発祥の地 (品川区)
  雪山讃歌発祥の湯 (群馬県嬬恋村)
  ひもかわうどん発祥地 (刈谷市)
  今川氏発跡地 (西尾市)


ガールスカウト発祥の地 ガールスカウト発祥の地碑は 東京・品川区の香蘭女学校の中にある。
最近 学校は関係者以外の立入りに非常に神経質であり, ましてや 女学校の場合は おじさんがノコノコ校内に入り込んだりすると, すぐに パトカーが飛んくる事態になりかねないため, 非常に入りにくい。

以前からこの碑の存在は知っていたが 入りにくくて 一日延ばしになっていたが, 夏休み最後の日 ようやく案内を乞うて 写真を撮らせてもらった。


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