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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

アイスクリーム誕生の地 など

「発祥の地コレクション」に 新規に4件を掲載しました。

  アイスクリーム誕生の地 (横浜市)
  日清紡績創業の地 (江東区)
  のれん街発祥の地 (渋谷区)
  国鉄機械化土工発祥之地 (三島市)


アイスクリーム誕生の地碑

【アイスクリーム誕生の地】

最近 過去に訪問して「発祥の地」ではないと判断したものを もう一度見なおしている。 はっきり「発祥の地」と書かれていないものを どう判断するかは, かなり微妙なところがあって, 時によって判断が分かれたりしている。

今回取り上げた「アイスクリーム誕生の地」も, 最初に写真を撮ったのは 1999年のことだったが, 内容は「ここで日本で最初のアイスクリームが誕生した」というものなので「誕生の地」として新規に掲載した。


この他にもペンディングになっているものが数件あるので, 採用できるものは徐々に掲載していく予定。


それにしても この「母子像」と題するモニュメントは, 「アイスクリームの誕生」とどういう

関係があるのだろうか。 首をひねるばかり。

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5月と6月のカレンダー


 「今月のカレンダー 」のページに 5月と 6月のカレンダーを アップしました。


  5月  “ニワゼキショウ (庭石菖)” と “クレマチス”
  6月 “イヌスギナ”と“アデニウム”


イヌスギナ


【イヌスギナ】
普通の“スギナ”はいたる所で見られるが, “イヌスギナ”はあまり見たことがない。 ものの本によると「家のまわりや道ばたなどにふつうに見られる」と書かれているが・・・


まるで ツクシとスギナの2枚の写真を合成したような 不思議な感覚を覚えるのは 私だけだろうか。  

これを見つけた人が 「新種発見!」 と大騒ぎした例もあるという。

スギナは ツクシの胞子茎がスギナの茎とは別に出るが, イヌスギナは 普通の茎(栄養茎)の先端に胞子の穂ができる, という構造的な違いがあるそうだ。


なお, カレンダーに使った写真は, 先端の“ツクシ”の部分だけを拡大しているので, イヌスギナの面白さは 右の写真を見てください。

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発祥の地 3件

「発祥の地コレクション」に 3件を 新規に掲載しました。


  「伝統の一戦(巨人・阪神)」誕生の地 (江東区)
  重砲兵発祥地 (横須賀市)
  八甲田春山除雪隊発祥の地 (青森市)


八甲田山春山除雪隊発祥の地
【八甲田春山除雪隊発祥の地】
冬の間積雪のため閉鎖される“八甲田・十和田ゴールドライン” (青森市から十和田湖間を結ぶ道路)は, 春になると「除雪隊」が編成され, 自動車の通行ができるようになります。

その 「除雪隊の発祥の地」 という碑があります。

実は この場所には 2年前に ツアーのバスで通過した時に, 「発祥の地」という文字があったように思ったので, 急いで写真を撮りました。

しかし なにしろ全く予期していなかったのと 動いているバスの窓からあわてて撮ったため, 手振れはひどいし 逆光ぎみで真っ黒で, 文字は全然読み取れないし, とても人に見せる価値はないと 放ったらかしになっていました。


最近友人との会話で 八甲田山にある発祥の地が話題になり, 「そういえばあの写真はどうしたっけ...?」 と引っ張りだしてみました。
真っ黒な碑面の写真でしたが, 何とか文字だけでも読めないかと 無理やり修正を重ねたところ, 「八甲田春山除雪隊発祥の地」という文字が浮かび上がってきました。 努力はしてみるものです。


そんなわけで, お世辞にもきれいな写真とは言えませんが, “初めての青森県の発祥の地”として, 2年ぶりに陽の目を見ることになりました。

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発祥の地 5件


茨城県・東京都・山梨県の発祥の地を5件 「発祥の地コレクション 」に掲載しました。

  連歌発祥之地 (つくば市)
  ガマ口上発祥之地 (つくば市)
  大日本史完成之地 (水戸市)
  南第二小学校発祥の地 (町田市)
東京送電水力発祥の地 (大月市)
      (※=T.K.さんから写真を提供してもらったもの)
大日本史発祥の地碑



【大日本史完成之地】というのは 発祥の地として扱ってもいいのか, 若干の疑問がなきにしもあらず です。

「完成の地」という名前は 他に例を見ない独特のものですが, 内容的には「この地で生まれた」というもとなので まあ 発祥の地の一つの変形だろう, ということで採用としました。


それにしても 徳川光圀が始めた事業が, その後の藩主が何代にもわたって 引き継いで継続したこと, 250年後の明治の時代にになって ようやく完成させたこと など, ある意味では 粘り強さに驚きますが, 逆に 250年もの間 本当にしっかり仕事をしていたのかいな...? という疑問も感じます。


100年を超える事業というと, あのガウディの“サグラダファミリア”の建築を思い出します。 こちらは 建築を開始したのが 130年前の 1882年のことで, いまだに完成していないわけですが, 大日本史は その2倍近い時間をかけていたわけです。 何とも気の長い話で, 私なんぞは とてもついていけません。
また, よくそれだけの経費が捻出できたものですね。

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