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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

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10月/11月のカレンダー

月末が近くなったので, 「今月のカレンダー」を 入れ替えました。


  10月 オケラ(朮)〔キク科〕
  10月 ポーチュラカ〔スベリヒユ科〕

  11月 アカザ(藜) 〔アカザ科〕
  11月 ツワブキ(石蕗)〔キク科〕

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東京・埼玉の発祥の地


9月に入って 東京北西部~埼玉県・所沢市~川越市~新座市 など, 8ヶ所の発祥の地に行ってきた。

今回は その前半 4ヶ所を「発祥の地コレクション」に掲載した。


   村山第一小学校発祥の地 (武蔵村山市)

   商業教育発祥之地記念碑 (所沢市)

   保健所発祥の地 (所沢市)

   狭山茶発祥之地 (川越市)



保健所発祥の地 A
保健所発祥の地 B
保健所発祥の地 C

【保健所発祥の地】


日本の保健所は, 昭和12年に 東京・京橋に建てられた「都市保健館」と, 所沢に建てられた「農村保健館」に始まった。


「農村保健館」は 3年後には「所沢保健所」と改称し, 現在地に移転している。


保健所発祥の地に関して, 所沢には 3ヶ所に石碑が建っている。

   [A] 所沢保健所内の「発祥の地」碑

    [B] 所沢駅前ロータリー近くの「発祥之地」碑      

    [C] 所沢駅近くの公園に建つ「農村保健館跡」碑

( 右の写真は 上から [A] [B] [C] )


何だか とてもややこしいことになっている。


[A] と [C] は 建碑した日が同じなので, 「発祥の地は [A]」 「そのもとになった 保健館は [C] の位置にあった」 としたのだろう。

ところが困ったことに [C] の 「保健館跡」 は 本当の保健館跡地ではなく, 正しくは 所沢駅前のロータリー前の [B] だった。


このため 誰か関係者あたりからクレームがついて (?) 収拾がつかなくなったのだろうか,  [B] に あらためて 「わが国保健所発祥之地」 なる碑を建てて 「本当の保健所跡はこの場所です」 と言い訳したのだと推測できる。


その証拠に  [C] の碑の横には わざわざ 「農村保健館はここから南東方面に約173mのところでした」 と断りの説明板が建っている。

その日付は「平成14年3月」で  [B] を建てた日付と 全く同じであり,  どちらも 所沢保健所が設置したものである。


そんなことなら 初めから  [B] の位置に ちゃんとした発祥碑を建てればよかったのだろうに,  所沢保健所としては  どうしても 自分の保健所内に 保健所発祥の地の碑を建てたかったのだろう。



もう一つ疑問に思うことがある。


保健館は 「都市保健館」 (東京・京橋) と 「農村保健館」 (所沢) の2ヶ所に設置されたはずなので,  保健所発祥の地は 都市保健館でもよかったはずである。


都市保健館は  現在「中央区保健所」に引き継がれているようなので,  これを差し置いて 所沢のみが発祥の地として取り上げられたのはなぜだろうか。 このことについて 何の説明もなされていないが,  不思議でならない。 


全国 850余の保健所の総意として  所沢が 発祥の地として 選ばれたのだろうか?



【狭山茶発祥之地】

「狭山茶」は  現在, 入間市・所沢市・狭山市などで栽培されている 埼玉県を代表するお茶である。


川越市の中院境内に設置された 「狭山茶発祥の地」 碑は 大きな横長の立派な石碑だが,  

碑文によると  川越にお茶がもたらされたのは  奈良時代, 慈覚大師が薬として持ち込んだことに始まる,  とという意味のことが書かれている。


しかし いろいろな資料で お茶の歴史をたどってみると,  一般には  鎌倉時代に 栄西が中国からお茶の種を持ち込んだのが  日本のお茶の最初で,  川越には 鎌倉~室町時代に 明恵上人が持ち込んだもの,  とする説が有力であるらしい。


まあ, 両方の説は 時代的には 200~300年ぐらいの差であって, 現代人にとってあまり大きな差ではないのかもしれないが, こういうことがキチンとしていないと 落ちつかなくなるのは 私だけだろうか。

狭山茶発祥の地

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「川柳発祥の地」など

「発祥の地コレクション」に 下記5件を掲載した。 
今回は 地域的には 北海道から九州まで広範囲に渡っている。 


    川柳発祥の地 (台東区)
    良い歯の日発祥記念碑 (墨田区)
  § 鎮西学院発祥の地 (長崎市)
  § 日本磁器発祥の地 (有田町)
  ※ 斜里農業発祥の地 (斜里町)
      (§=写真提供 N.I.さん)
      (※=写真提供 T.K.さん)


【 川柳発祥の地 】


この碑は 8月25日に除幕式が行われたばかり。できたてのホヤホヤである。
かなり早い時期から予告されていたため,私のところにも 複数の知り合いから 「当日見に行ったらどうか」 などと知らせてもらっていた。 
しかし 除幕式の当日に行っても 大勢の人の背中を眺めるばかりで,肝心の写真をとるのが難しそうなので,当日は遠慮して 2日後に行ってきた。 

さすがに 2日後だと誰もおらず,猛暑続きの毎日だったのが この日だけは気温が下がり, とても歩くのが楽な いい散歩日和だった。 


新しい発祥碑は 赤御影石というのだろうか,大きな箱のような形の石碑で, 立派ではあるけれど よく見かけるタイプ といった感じ。
なんとなく もっと背の高い柱状の石碑を予想していたので,肩すかしを食ったような印象だった。


実は この場所から300mほど北にある 菊屋橋公園にも 柄井川柳の碑がある。
かつてこの場所に 「川柳発祥の地」碑を建てるよう 働きかけがあったらしいのだが, 台東区の教育委員会は 「川柳発祥の地とする証拠(古文書など)がない」 という理由で駄目になり, 代わりに「柄井川柳碑」と「川柳ゆかりの地」という説明板を建てることになった。 1992(平成4)年のこと。


この度 関係者の悲願(?)が達成されて, 初代川柳の墓のある龍宝寺の近くに ようやく発祥碑が建立された。

めでたい めでたい。

ちなみに 菊屋橋公園に台東区が建てた 「川柳ゆかりの地」説明板には 次のような文章が書かれている。


川柳ゆかりの地

台東区元浅草3丁目20番6号 区立菊屋橋公園


柄井(からい)川柳 (初代) は享保3年(1718)生まれ, 通称を八右衛門, 名を
正通という。 柄井家は祖父図書の代から朝倉龍宝寺門前の名主を努めて
おり, 川柳も宝暦5年(1755)からから龍宝寺門前の名主となった。 その
2年後, 宝暦7年 (1757) から前句付の点者 (選者) として活躍して
いる。 寛政2年 (1790) 死去。 墓は龍宝寺 (天台宗, 蔵前4-36-7)
にあり, 都指定旧跡となっている。


前句付は 出題された前句 (主に七七の短句) に付句 (主に五七七の長句)
をつけるもので, 川柳が点者を努める万句台は 広く人気を集めた。 明和
2年 (1765), 川柳の選句集(誹風柳多留)初編の刊行を一つの契機と
して, 付句が独立した文芸となっていった。 この文芸は 「川柳点」「狂句」
などと呼ばれたが, 明治中期から「川柳」の名称が用いられるように
なった。 個人の号名が文芸の古称となるのは稀有のことである。

この地域で活躍した柄井川柳の偉業を記念するため, 有志の運動に
より当公園には 平成元年3月に柳が植樹され, 平成4年4月には柄井
川柳碑が建立された。



平成17年3月
台東区教育委員会



菊屋橋-川柳碑 菊屋橋-川柳ゆかりの地



良い歯の日発祥記念碑 【 良い歯の日発祥記念碑 】


この碑は 両国中学校の校門前にあるというので, 友人と行ってみたら, 両国中学校は 大規模な工事中で 発祥碑は見つからなかった。
その後 別資料で 「旧・押上中学校の後門前」 に移転した ということだったので, あらためて出かけてみた。


「旧押上中学校」 がどこにあるのか ウロウロと探し回った。
というのは, すぐ隣に 「文花中学校」 というのがあるので, こんな近くに 別の中学校があるのはおかしい, と思い込んでしまって 迷ってしまった。


「良い歯の日」 というのは その後 6月4日の「虫歯予防デー」 となり 昭和3年から昭和13年まで続いたが, 戦時中は中断されてしまった。
「非常時に 虫歯予防どころではない」 ということだったのか, あるいは「予防デー」 という “敵性用語” を使ったためなのか...


昭和24年から 毎年6月4日~10日を 「口腔衛生週間」 という名称で復活し, 昭和33年からは 「歯の衛生週間」と名前を変更している。

現在, 日本歯科医師会では 「虫歯予防デー」 という言葉は全く使っていないようだ。
つまり 「虫歯予防デー」 は 過去のものになっているらしい。


「歯の衛生週間」と二重に記念日を制定する必要はない」 ということだろうが, 「6月4日=ムシバ」 と読ませた この記念日は ずいぶん浸透していると思うので, なくしてしまったのは もったいないように思う。

もっとも 「虫歯予防デー」 の名前は 非公式にはまだ使われていてるようで, 記念日を列挙する 一部のサイトなどに 「歯の衛生週間」 と一緒に記載されている。


【 鎮西学院発祥の地 】


以前, 久留米市で「鎮西学園発祥の地」という記念碑を見たことがある。
「鎮西学園」 と 「鎮西学院」 とは 全く別で, 前者は 仏教系, 後者は キリスト教系の学校。


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