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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

木曽地方の発祥の地

今回は, 木曽地方に見つかった発祥の地を 4件,「発祥の地コレクション」に掲載した。

いずれも (全国各地の鉄道関係の記念碑を調べておられる) T.H.さんから写真を提供していただいた。 交通の便の悪い場所にあるものが多く, なかなか自分で現地取材が困難なもの。貴重な記録。 T.H.さんに感謝。


   木曽踊発祥之地 (長野県木曽町)
   木曽「三浦氏」発祥の地 (長野県王滝村)
   森林浴発祥の地 (長野県上松町)
 ※ 日義村役場発祥の地 (長野県木曽町)
 ※ 日義学校創立の地 (長野県木曽町)


       (※印の2件は,同一の碑に併記されたもので, 碑の数は1件とカウント)


木曽の発祥の地

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6月7月のカレンダー

花のカレンダー 」 を 6月 と 7月 に入れ換えた。


   6月 スペアミント と ナデシコ
   7月 トケイソウ と オオハナウド


カレンダー6月7月




【トケイソウ】 (時計草)  〔写真提供 selaさん〕


雌しべが3つに分裂して時計の長針・短針・秒針のように見える,非常に特徴的な花つける。 一度見たら 忘れない名前である。


英語では Passion Flower という。

これはキリストの受難(Passion)に由来するのだとか。


写真の色・形のものがよく見られるが,種類は多く 真っ赤なものや 黄色の品種などもある。 


【オオハナウド】 (大花独活)  〔写真提供 K.Takase さん〕


撮影者の Takase さんが, 昨年 北海道・礼文島で撮影した。 


オオハナウドは 北海道と本州の北部, および 千島・カムチャッカなどに分布している。

草丈は2メートル程にもなり,葉も大きい。


名前は “大型で ウドに似ていて, 美しい花を咲かせる” ことから来たといわれる。


全体は 白い花のかたまりのようだが, 小さな花一つひとつを見ると 可憐で美しい。

カレンダーの花としては やや地味かも。

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東京理科大学発祥地 など

発祥の地コレクション 」に 東京で見つけた発祥の地を 4件掲載した。
   (※印は 写真提供 T.K.さん)


(新規)
   シチズン時計発祥の地 (新宿区)
   文化放送発祥の地 (新宿区)
   東京理科大学発祥の地 (千代田区)
  ※日本最初の喫茶店発祥の地 (台東区)



また 「白石村医療発祥の地」 関連の写真を送ってもらったので, その写真を追加して 修正版とした。 (§印 :写真提供 T.T.さん)



(修正)
  §白石村医療発祥の地 (札幌市)  <写真追加。説明追加>



東京の発祥の地



【 シチズン時計発祥の地 】


この碑のことが あちこちのブログなどで話題になったのは ごく最近のことだが, 設置されたのがいつなのかは よくわからない。

新しく設置された という印象はあまり受けないので, 長い間 人の噂にもならずに ひっそりと
ここにあったのだろうか。



【 文化放送発祥の地 】


「文化放送は カトリックの修道会によって設立された」 と分かった時は ちょっとした驚きだった。


この辺りは 数年前までに 何回か歩いたことがあって, ちょっと風変わりな建物だとは思っていたが, 経営母体が修道会だったために, 教会風な建物を建てたのだとは 知らなかった。


現在は 修道会との関係はなくなっており, いつのまにか 局舎も浜松町に移転してしまい, 跡地にマンションが建ち, 今年4月に 発祥の地の碑が建ったというわけ。


とにかく 変化が激しい。



【 東京理科大学発祥の地 】



理科大が その発祥を調べた結果, ようやく この場所が発祥の地だった ということがわかり, 発祥碑を建てることにした.,. .ということは 少し前からウェブ上に書かれていた。


3月に入ってすぐに 「もう碑が建っている」 という情報をもらい すぐに見に行ったところ,
写真のように立派な姿を見せていた。


碑が完成したのは 2月末, 除幕式は 3月15日のことで, できたてのホヤホヤ。

しかし, そもそも“除幕式”というのは, 完成後しばらく人目につかないように カバーか何かをかけておいて, 除幕式でカバーを取り除いて お披露目するものだと思っていたのに,

理科大では はじめから公開しておいて, 除幕式当日は 形ばかりの“除幕”をしたらしい。


理科大らしい合理性。 というより 淡白さというのか。
はたから見ていて 少々 拍子抜けがした。



【 日本最初の喫茶店発祥の地 】


この碑も 4月15日に出来たばかり。


しかし 変な名前の碑である。
「日本最初の喫茶店」 とするか, 「喫茶店発祥の地」 とするか, どっちかにすればよかったのに, 両方取り込んでしまったため 変な名前になってしまった。


この喫茶店を開業した 鄭永慶 という人物は, 通訳をしていた家柄に生まれ, 若くして 英・仏・中国語をマスターし, アメリカにも留学したことがあった。


外国での経験をもとに 東京で喫茶店を開店したが, 何しろ コーヒーが当時の日本社会に容易に受け入れられたとは思えず, 社交サロンをめざしたものの 理想が高すぎて, 結局 経営は順調ではなかったらしい。 4年後には閉店されてしまったとか。





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