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はまだより雑記帳

HP「はまだより」 に関するニュース

12月と来年1月のカレンダー

もう来年のカレンダーを作る時期が来てしまった。
いつも思うのだが,今年は短かった。


今月のカレンダー 」 のページに,2008/12 と 2009/1 のカレンダーを掲載した。


  12月  ビワの花  と  ヒマラヤユキノシタ
   1月  スイセン  と  胡蝶蘭


はまだより雑記帳-12月&


【スイセン】


いつ見てもスイセンの可憐な花はいい。
寒さに強い。一定の寒さに当たらないと花が咲かないという性質があるという。


以前 淡路島までスイセンを見に行ったのを思い出す。
その日は猛烈に寒く,震えながらのスイセン鑑賞だった。
 
水仙は改良品種が次々と開発されて.1万以上の種類があるとか。
この水仙は ラッパ水仙・カップ水仙の仲間だろうが,何という種類だろうか。



【コチョウラン】


「大きくて派手な花が鈴なりに咲く様子が蝶の似ている」ためにこの名前がある。
他の樹木にくっついて生きるため「着生植物」と呼ばれる。(寄生植物とは違う)


よく開店祝などのギフト用に使われるのは,花が美しくて見栄えがすることと,
花が長持ちすることによるのだろう。


このピンクの胡蝶蘭の品種名は“ウェディング・プロムナード”。
やや濃いピンク色で,圧倒的に存在感のある花。
某植物園で,ツボミの状態からようやく咲き始めたところを撮った。





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大分県の発祥の地(その1)

大分市内で見つけた 6件の発祥の地碑を 「発祥の地コレクション」  に掲載した。


     交流教育発祥の地 (大分市)
     大分県教育発祥之地 (大分市)
     西洋医術発祥記念像 (大分市)
     西洋劇発祥記念碑 (大分市)
     大分県病院兼医学校開設の地 (大分市)
     大分県看護教育発祥の地 (大分市)


大分の発祥の地(1)

【交流教育発祥の地】

大分市立小佐井小学校にある この発祥碑については 何の情報もなく, どのような歴史があったのか
まったく不明。


碑を建てた当事者は 由来も背景もよく知っているから,特に説明の必要を感じないのだろうが,あとから碑を見る第三者の身になって,簡単なものでもいいから 由来などの説明を書き加えておいてもらえると助かるのだが...



【大分県教育発祥之地】
【西洋医術発祥記念像】
【西洋劇発祥記念碑】

県庁の前には まとまっていくつもの彫刻や記念碑が並んでいる。
この3つの碑の他に 「西洋音楽発祥の地」 の碑があったらしいのだが,見落としてしまった。

次回の楽しみを残したつもりではなかったのだが...


【大分県病院兼医学校開設の地】
【大分県看護教育発祥の地】


設置方法が悪くて 碑文が読みにくくなっているのが 非常に残念。


ここには かつて大分県立病院があった。そのことを記念して これら2つの記念碑が建てられたらしい。


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宮崎県の発祥の地 (その2)


前回に引き続き,宮崎県でみつけた発祥の地を 6件,「発祥の地コレクション 」に掲載した。

   
   天の岩戸神楽発祥の地 (宮崎県・高千穂町)
   刈干切唄発祥の地 (宮崎県・高千穂町)
   剣法発祥乃聖地 (日南市)
   公益質庫発祥地 (日南市)
   百匹目の猿現象発祥の地 (串間市)
   島津家発祥之地 (都城市)



宮崎県の発祥の地 (その2)



【天の岩戸神楽発祥の地】


これは 予想外に大変な場所にあって,そこまで辿り着くのに一苦労した。

高千穂のはずれ と言ってもいい 不便な場所にある 天岩戸神社。
碑は「神楽尾」という所に碑があるという。


「その脇の道をずっと上っていけば 15分ぐらい」 と聞いて,その程度の距離ならば...

と のんきに歩きだした。
ところがどっこい。かなり急な上り坂を 歩けど歩けど 目的地に着かない。
途中 ようやく出会った老人に聞くと,はるか山の上を指さして 「あの大きな木の下あたり」

という。もうヘトヘトになりながらようやく目的地に到着。


来てみてわかったことだが,何もそんなに苦労しなくても 車で上がれたのだ!!
往復1時間余りの山登りは 大苦痛。老人向きではなかった。



【百匹目の猿現象】


名前からして 珍しい発祥の地である。

幸島という サルの群生地で,一匹のサルが芋を水洗いして食べはじめた。

それを他のサルが見て 真似して洗いだした。... これがどんどん群れ全体に

広がった。


これが「百匹目の猿現象」だが,これを聞くと「サル智恵も素晴らしいものだ」 と
感心するのだが,その後 世の中は思いがけない方向に進んでいった。


「芋洗いの行動が ある臨界値 (たとえば 100匹) を超えると,一気に群れ全体に
広がり,地理的に離れた別の地域のサルにも伝染する」

という珍説をとなえる人がでてきたのである。


この説は 週刊誌的に楽しんでいる間はいいのだが,よく考えてみると 科学的には
何の根拠もない。「嘘だ」という人が出てきて騒ぎが大きくなった。
やがて 説を唱えた本人も 「あれは ただのたとえ話だ」 と創作であることを認めた。


困ったことに,この説をさらに拡大解釈する人がでてきた。
『ある考えをもつ人がある一定の数(臨界値)に達すると,伝達手段などがなくても
それが爆発的に世の中に広がっていき,考えていたことが実現する』
という。
まるで新興宗教的のような考え方である。


そんな議論がやかましく行われている中で,地元串間市では「百匹目の猿まつり」
というイベントを催して,発祥の地の碑まで建ててしまった。
関係者は 「百匹目の猿現象が真実であるかどうかの議論は脇に置いておいて,
単に“まちおこしのテーマ”として取り上げた。これを『嘘だ』と騒ぐのは 野暮という

もの」 との立場をとっているらしい。


一つの発祥碑も,裏をさぐると いろいろと面白いことがわかってくる。



【島津家発祥之地】


NHKが今年1月,大河ドラマ「篤姫」の 「篤姫紀行」 というコーナーで,
「島津発祥の地は鹿児島県出水市」 と紹介した。


これに対して 都城市は「都城には 『発祥の地の碑まである』 と異議を唱え,
東国原・宮崎県知事までが NHKにクレームをつける騒ぎになった。
都城市は“島津発祥”を観光の目玉にしており,これを無視されては一大事
というわけだろう。


結局NHKが折れて,3月の番組の中で 「都城にあった荘園(島津荘)が
島津姓の由来になった」 と説明することで決着した。
「島津姓の由来は都城市。島津家による実質的支配が始まったのは出水市」
ということである。


呉市と舞鶴市が 「『肉じゃが発祥の地』はこちら」と 論争しているように,
発祥の地争いはあちこちにある。多くは 解釈次第で どうにでもなるような
ケースが多い。そういう時は さっさと発祥碑を建ててしまった方が“勝ち”
だろうと思う。

その意味では 今回の話は 既に発祥碑があった 都城に軍配が上がる。


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